プロフィール

1966(昭和41)年4月 19歳。大学へ。
浪人して医学部受験のために、途中で上京して予備校へ通った。受験に失敗して、東京で暮らしたあとに松本市の信州大学人文学部に入学し学生生活を送ったことが、結果として複眼的な思考には不可欠だった。流行の思想も知り、またそれに距離をおくこと、この二つのバランスをどうとるか、である。

20歳(大学時代)
20歳(大学時代)

 幕末の血なまぐさい時代の話である。勤皇派の若い武士たちが言い争った。おまえなんか命をかけて脱藩する度胸はないだろ、と挑発された若者が、そんなに疑うならこの場で証拠を見せてやる、と叫ぶなり刀で腹を深く抉(えぐ)って果てた。当人には命を粗末にしている自覚はないのである。

 僕のころは学生運動が盛んな時代であったとしても平和なのであり、幕末の動乱とは違うし戦時中とも異なる。にもかかわらず命を粗末にしたんだな、と思う。

 大学に入ったばかりの時期に高校時代の友人が首吊り自殺した。文学に凝っていたわけでもないし陽気な男だったので、なぜなのか不審顔でいると、理由は失恋だ、相手も判っている、と別の友人が訳知りに説明したので納得するよりなかった。夏休みに墓を詣でて憔悴(しょうすい)しきった両親を前に思わず、彼は純粋だったんです、とお悔やみを述べたが、僕が嫌いなウソくさい言葉である。戸惑って心にもない台詞を吐いてしまった。

 僕が音頭をとって始めた哲学の勉強会に出席していた下級生が自殺した。痩身で理屈っぽい性格だったので哲学に凝ったせいかと思ったら、失恋だという。両親が、息子のことを少しでも憶えていてほしいと形見にガラスの文鎮をつくり友人たちに配った。僕の引き出しにずっとしまわれていたが、幾度も引っ越しをするうちに消えてしまった。物は消えても記憶は残っているので彼の両親との約束は守ったことになる。

 同じアパートにいた山岳部員がヒマラヤで遭難した。真っ黒に日焼けしたいかにも山男然とした奴である。登攀(とうはん)仲間によると、あッと声がして振り向くと馬の背のような狭い尾根から一瞬にして滑落、谷底に消えたという。

 与論島で死んだ友人は目元の涼しい優男であった。海が荒れていたわけでないのに、ふと見まわすと姿が消えている。死体は上がらなかったが溺死だろう。チャールズ・ブロンソン髯を生やして大きなオートバイを乗り回していた友人がとうとう転倒した。傷そのものはたいしたことがなかったのに急死した。死因は破傷風だった。乗用車で居眠り運転をして亡くなった友人もいる。未明にセンターラインを越えてトラックと衝突した。やたらに声の大きい憎めない男である。この三人は学生運動に関わっていたが、死因は思想の問題ではなくほんのちょっとした不注意によるものだった。

 さらに中学のときの同級生が、大学院で修士論文を執筆中に過労で突然死したと耳に入ってきた。
二十歳前後はたしかに危ない年代なのである。死に神がすぐそばを横切っている。ああ、そこを通りすぎたんだな、とある日、気づいたりする。二十代半ばになって、指折り数えると幾人もの友人が呆気なくこの世から去り、その不在が絶対的なものであることにあらためて気づかされ愕然とした。紙一重だったと思うから。若いのに妙に老け込んだ気分に陥った。

「紙一重の死に神」(99・9)『明日も夕焼け』所収

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